西 教 寺 明智 光秀。 【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その1)

西教寺は坂本の人々を守り愛した明智光秀の菩提寺

ここにも庭園がありました。 西教寺へのアクセス(鉄道利用の場合) 私たちが利用したのは、JR比叡山坂本駅。 お寺の宿泊施設と郷土料理 大本坊から階段を下った場所には、西教寺の研修道場の建物を使用したユースホステル西教寺があります。 西教寺は紅葉が美しく、シーズン中はライトアップが行われます。 坂本城が落ちた後、廣忠は一族を西教寺に埋葬し、供養します。 その横にあったのが、松尾芭蕉の句碑。

>

明智光秀ゆかりの地『西教寺夏のライトアップ』開催☆

密教色の強い天台宗と違い、天台真盛(しんせい)宗の総本山である西教寺のご本尊は、阿弥陀如来です(残念ながら撮影不可)。 光秀公が焼き討ちで焼失した「西教寺」の復興に寄与した、で終わりそうなのですが、実はこの「復興」が相当な手の入れようだったようです。 いろいろと光秀公を立てた妻として逸話が残る「煕子」ですが、夫婦仲はよかったとされ、光秀公が「山崎の合戦」の後に亡くなる6年目に、光秀の看病疲れから病死したとのことです。 時刻表は。 ところが光秀は妻・煕子の葬儀に参列しました。 こちらが正門です。 西教寺にある明智一族の墓 では、実際に西教寺にある明智一族の墓を見てみましょう。

>

西教寺(明智光秀:菩提寺)

また、JR湖西線の大津京駅から京阪電車に乗り換え、終点の坂本比叡山口駅で下車という方法もあります。 聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩の向かって右側に明智光秀一族の墓、左側に光秀の正室・熙子(ひろこ)の墓が見られます。 勅使門の南側から紅葉に囲まれて本堂に向います。 白山信仰のためか、721年に、元正天皇の勅願を受け阿弥陀堂を創建されました。 幼少期の上人像。 手前に妻木(明智)一族の供養塔、そして芭蕉が詠んだ煕子の句、奥に煕子の墓があります。 なんでか「そろばん」を持った仏像が。

>

明智光秀ゆかりの坂本・西教寺を訪ねて2 本堂と客殿 明智光秀公資料室も!

光秀公は生前、ここ西教寺に深い敬意を示し援助をしていました。 陥落した明智城から逃げ、流浪の生活が始まったと言われております。 その時本堂から鉦(しょう:祭りなどに使う打楽器)の音が聞こえたので見てみると、猿が鉦を打っていました。 どことなく、慎ましやかです。 日本の「そろばん」は大津が発祥の地なんですね。 その経緯は不明だが、秀吉の時代の建造物が見られる寺院は、京都を除けば滅多にないだろう。

>

明智光秀ゆかりの坂本・西教寺を訪ねて2 本堂と客殿 明智光秀公資料室も!

なお、明智光秀が越前に逃れていたことは「遊行三十一祖京畿御修行記」という史料にて確実視されるようになりました。 パンフレットには明記されていませんでしたが、「明智光秀とその一族の墓」の案内板によると、光秀の死後、坂本城の城門の1つが西教寺に移されたそうです。 光秀の供養塔 明智光秀の墓は西教寺にはありません。 妻木広忠は最期まで戦って生き残り、亡くなった一族のお墓を西教寺に作り終えてから、煕子のお墓の前で自害したと云われています。 松尾芭蕉は、生涯に700ほどの句を残していますが、そのうち女性に関する句はこの一句しかなく、 相当煕子のエピソードに感動したのだろうと住職さんはおっしゃっていました。 そして、 城にも通える場所に屋敷を与えられたのか移り住み、現在、その跡地には がある訳です。

>

明智光秀ゆかりの地『西教寺夏のライトアップ』開催☆

信長に背いた荒木村重を攻めて有岡城の戦いに参加する。 光秀の命日にあたる6月14日、毎年多くのファンが集まって法要が行われるという。 その他にも光秀の遺品や、娘婿の秀満ゆかりの品など、とても見ごたえがありました。 また、城作りの職人集団「穴太(あのう)衆」の地元であることから、西教寺にもまるで城のような石積みや石垣があります。 坂本城が健在のころ、敵襲を知らせるためにこの太鼓が使われたそうだ。 何を考えて本能寺の変を起こし、どのような思いで妻を愛し、民に治世を敷いたのか?など、 想うところは様々でした。 信長の正室である濃姫(斎藤道三の娘)が光秀の血縁関係にあった可能性があり、その縁から信長に働きかけることができたとされる。

>

西教寺(滋賀大津)明智光秀墓、桜紅葉

お寺の開祖を敬う弟子たちの感謝 西教寺には、お寺を創建した高僧が亡くなった後に、その弟子たちが慕い偲んで建立した塔頭(たっちゅう)と呼ばれる建物があります。 2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は明智光秀の生涯を語るドラマで、明智光秀に深いゆかりのある西教寺に多くの人が訪れています。 この総門は、光秀の 坂本城城門が移築されています。 「宗祖真盛上人について」と書かれています。 また、3女の も、称念寺もしくは明智神社の場所で生まれた可能性があると言う事です。 西教寺の歴史がわかりますね。 駐車場からここまで登りっぱなしです。

>

明智光秀ゆかりの西教寺(滋賀県大津市)とは?~まとめ

まぁ、山門の前からたくさん楽しませてもらえますね。 写真からはわかりづらいのですが、この唐門からは、琵琶湖がよく見えました。 「日吉大社」の使者である猿までが上人の教化を受けて念仏を唱えていることに感じ入った僧兵はその場を立ち去ったといいます。 本能寺の変、山崎の合戦、坂本城の落城と光秀公と共に戦ってきた濃州妻木一族も多くが討ち死にしたり、自刃したりしています。 拝観料:500円• 風景も、水もキレイですごいパワースポットだと思いますね。 表裏一体、真実は一つっていう意味に私は取りました。 には、約10万坪の境内に42の堂塔伽藍が建ち並ぶ立派なお寺でしたが、1571年、 が を行った際に、西教寺も焼失しました。

>