更級 日記 源氏 の 五 十 余 巻 現代 語 訳。 更級日記訳年はややさだ過ぎゆくに

高等学校古典B/更級日記

消去法で伝聞:「(伝え聞いて)~だそうだ。 親の太秦にこもりたまへるにも、異事なく、このことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。 とをき 火のひかりに、ひとへのそでながやか に、あふぎさしかくして、うたうた ひたる、いとあはれに見ゆ。 あまたの御方がたを過ぎさせ給ひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くし給ふも、げにことわりと見えたり。 総角(あげまき) 48. 親の太秦(うづまさ)にこもりたまへるにも、異事(ことごと)なく、このことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。 かゝるおりにまい りておがみたてまつらむと思て、四月 ばかりの月のあかきに、いとしのびて まいりたれば、はかせの命婦はしる たよりあれば、とうろの火のいとほ のかなるに、あさましくおい神さびて、 さすがにいとよう物などいひゐたる が、人ともおぼえず、神のあらはれ たまへるかとおぼゆ。 その物語に夢中になるさまは、読んでいて「ああ……覚えがあるなぁ」と思う人もいれば、「これ、ちょっと危なくないか? たれにみせたれにきかせむ山ざとの このあかつきもおちかへるねも このつごもりの日、たにの方なる木のう へに、ほととぎす、かしがましくないたり。

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更級日記『物語(源氏の五十余巻)』(3)問題1の解答

jp三島 久典. たれ (誰)=代名詞 も =係助詞 いまだ =副詞 都 =名詞 慣れ =ラ行下二段動詞「慣る・馴る(なる)」の未然形 ぬ =打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形。 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 まづ=副詞、実に、なんといっても はかなし=形容詞ク活用、はかない、頼りない、あてにならない あさまし=形容詞シク活用、驚きあきれることだ、びっくりすることだ、浅はかだ と思った心は、実にたいそうあてにならなくあきれることだ。 かくてながむらむと思をこする 人あらむや」などいひて、 山ふかくたれか思はをこすべき 月見る人はおほからめども といへば、 ふかき夜に月見るおりはしらねども まづ山ざとぞ思やらるる あか月になりやしぬらむと思ほどに、 山の方より人あまたくるをとす。 これ見よ」と て、いまかたつかたにうつれるかげを見 せたまへば、みすどもあおやかに、木長 をしいでたるしたより、いろいろのきぬ こぼれいで、梅さくらさきたるにうぐ ひすこづたひなきたるを見せて、「こ れを見るはうれしな」と、の給となむ 見えし」とかたるなり。 くにの人のありけるを、火たきやの 火たく衞じにさしたてまつりたり けるに、御前の庭をはくとて、「などや くるしきめを見るらむ、わがくにに 七三つくりすへたるさかつぼに、さ しわたしたるひたえのひさごの みなみ風ふけばきたになびき、 北風ふけば南になびき、にしふけ ば東になびき、東ふけば西になび くを見て、かくてあるよ」と、ひとりごち、つ ぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ いみじうかしづかれ給、たゞひとりみ すのきはにたちいで給て、はしらによ りかかりて御覧ずるに、このをのこの かくひとりごつを、いとあはれに、いか なるひさごの、いかになびくならむと、 いみじうゆかしくおぼされければ、 みすををしあげて、「あのをのこ、こち よれ」とめしければ、かしこまりてか うらんのつらにまいりたりければ、 「いひつること、いまひとかへりわれにいひて きかせよ」とおほせられければ、さかつぼ のことを、いまひとかへり申ければ、「我 ゐていきて見せよ。

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更級日記の「その返る年の十二月二十五日~まめやかに言ふ人、ひとりぞある...

はゝなくなりにしめひどもも、むまれ しよりひとつにて、よるはひだりみぎに ふしおきするも、あはれに思いでられ などして、心もそらにながめくらさる。 らいねんのつかさめしなどは、ことし この山に、そこばくの神々あつまりて、 ない給なりけりと見給へし。 語注 ・東路(あづまぢ)の道の果て - 今の茨城県。 光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。 きくに、 いとむくむくしくおかし。

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Moe Kyun! Beyond oblivion もえきゅん!備忘録。: 更級日記 源氏の五十余巻 現代語訳

かたつかたは 海、はまのさまも、よせかへる浪のけ しきも、いみじうおもしろし。 。 花ざかりはまづつげよ」 などいひてかへりにしを、年かへりて 三月十餘日になるまでをともせねば、 ちぎりをきし花のさかりをつげぬ哉 春やまだこぬ花やにほはぬ たびなる所にきて、月のころ、竹の もとちかくて、風のをとにめのみさめ て、うちとけてねられぬころ、 竹の葉のそよぐ夜ごとにねざめして なにともなきに物ぞかなしき 秋ごろ、そこをたちて、ほかへうつろひ て、そのあるじに、 いづことも露のあはれはわはれじを あさぢがはらの秋ぞこひしき ままははなりし人、くだりしくにの 名を宮にもいはるるに、こと人かよは してのちも、猶その名をいはるときき て、おやのいまはあいなきよし、いひ やらむとあるに、 あさくらやいまは雲井にきく物を 猶木のまろがなのりをやする かやうに、そこはかなきことを思つゞく くるをやくにて、物まうでをわづかにし ても、はかばかしく、人のやうならむとも ねむぜられず、このころの世の人は 十七八よりこそ経よみ、をこなひも すれ、さること思かけられず。 さは、あれにはくおした てまつらむ」といへば、「なくなりにしかば、 こと人はくをしたてまつりて、こと人 くやうもしてし」と見てのち、きよ水に ねむごろにまいりつかうまつらまし かば、さきの世にそのみてらに仏ねむ じ申けむちからに、をのづからようも やあらまし。 野中に丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。 『更級日記,大嘗会の御禊見物をよそに,初瀬へ参詣』 その翌年の十二月二十五日,大嘗会(だいじょうえ:帝の即位後,初めて行う新嘗祭の節会の事で,ここでは後冷泉天皇の大嘗会,儀式は十一月)の御禊(ごけい:大嘗会に先立ち,帝が十月下旬,加茂川に御幸して行われる禊(みそぎ))だと世間が騒がしい頃,(私は)初瀬の精進(長谷寺参詣の為の精進・潔斎)を始めて,御禊の当日に京の都を出立したところ,然るべき後見人格の人々(筆者に自由に意見等を述べる間柄の人々)が,「(大嘗会は)帝の御一代に一度の見物で,田舎界隈の人さえ(上京して)見るものなのに,(物詣でに出かける)月日は多く有るのに,(わざわざ)その当日に限って京を振り捨てて出て行こうとは,実に狂気じみていて,後々迄の語り草に,きっとなってしまうであろう事です」などと言って,弟は言って怒るのだけど,幼子達の親である人は,「どうにでも,どうにでも,思う様になさい」と言って,私が言う様に,出立させてくれた配慮は,しみじみ心を打つ.同行する人々も,とても見物したがっている様子は気の毒ではあるけれども,「見物して何になるだろう.こういう際に,参詣する志を,(仏様は)殊勝であると思し召されるだろう.必ずや,仏様の御利益(りやく)も現れるだろう」と思い立って,その日の夜明け前に京を出て行くと,他でもない,二条大路(御禊の行列は二条大路を東進して加茂川に向かう)を通って行くと,前駆者に(仏様に奉納する)御灯明を持たせ,供だった人々も浄衣姿(神事・仏事に着用する装束)である我々一行を見て,桟敷(さじき:見物の為に路傍に一段高く組んだ高床の席)などに移ろうと行き来する大勢の馬上の人も牛車の人も歩いている人も,「あれは何だ,あれは何だ」と穏やかならず言い驚き,(中には)呆れて笑い,あざ笑う者達もいた.兵衛督(ひょうえのかみ)良頼(よしより,藤原隆家の長男)と申し上げる人の家の前を通り過ぎると,そこでも桟敷へお出ましになられるのだろう.門を広く押し開けて,立っている人々が,「あれは,物詣でに出かけて来た人であろうな.(何も,今日で無くても)世の中には月日が多いのに」と笑う中に,どういう思慮深い人だろうか,「(御禊見物なんかして)一時,見て楽しんで何になるだろう.殊勝にも思い立ちなさって,仏様の御利益をきっと御受けになる人でこそあるだろう.(自分達は)くだらない事よ.(我々も)見物などしないで,あの様にこそ参詣を思い立つべきだった」と真面目に言う人が一人いた. 以上,訳完了. 補)要するに,『大嘗会の御禊』のその日に,その見物はしないで,初瀬に参詣する事に決めてしまったので,傍目に見て,奇妙に思う人が多かったけれども,一人だけ,「殊勝な事だ」と感心してくれた,という話です.. しめやかなる ゆふぐれををしはかりて、まいりてり けるに、さはがしかりければまかづ めり。 おやのおりより立帰つゝ 見しあづまぢよりはちかきやうに きこゆれば、いかゞはせむにて、ほども なく、ゝだるべきことどもいそぐに、 かどではむすめなる人のあたらし くわたりたる所に、八月十よ日にす。

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「更級日記」の「物語」についての問題です。次の問題に答えてください。(1...

返ごとに、 こしのびをきくにつけてもとゞめをきし ちゝぶの山のつらきあづまぢ かうて、つれづれとながむるに、などか物ま うでもせざりけむ。 出典更級日記 夫の死「年はややさだ過ぎゆくに」[訳] 年はしだいに盛りの年齢を過ぎて 古語: 過ぐの意味 よもぎが露 ~小説 更級日記 暮らした東山のようでもあり、憧れの宇治の山奥のようでもある。 そ れにも、れいのくせは、まことしかべい事 も思ひ申されず。 どうしても帰ってご報告するのだと思い、たいそう一生懸命勤行して、寝たところ、御帳の方より、たいそう気高く清らかでいらっしゃる女性が、美しく衣装を着て、あなたが奉った鏡を下げて、 「この鏡には願文は添えてありますか」 とご質問になるので、私はかしこまって、 「願文はありません。 つぼねしてこのたびは日 ごろさぶらふ。 「三日さぶらひて、この人のあべからむ さま、夢に見せ給へ」などいひて、ま うでさするなめり。 鞍馬はもちろん恐ろしい。

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5分でわかる更級日記!作者やあらすじをわかりやすく解説

世のつねのやどのよもぎを思やれ そむきはてたるにはのくさむら ひたちのかみすがはらのたかすゑ のむすめの日記也。 后(皇后・天皇の妻)の位も(比較すると)もののかずではない(ほど楽しかった)。 あの人がら も、いとすくよかに、世のつねならぬ 人にて、その人はかの人はなども、 たづねとはですぎぬ。 にほひくるとなりの風を身にしめて ありしのきばのむめぞこひしき• ゆかしくしたまふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将・とほぎみ・せり河・しらら・あさうづなどいふ物語ども、ひと袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。 ものの心知り給ふ人は、かかる人も世に出でおはするものなりけりと、あさましきまで目をおどろかし給ふ。 こはかやう にのぼらせ給はまし、など人々い ひいづる、げにいとあはれなりかし。 いかにいひなににたとへてかたらまし 秋のゆふべのすみよしのうら と見つゝ、つなでおひきすぐるほど、 かへりみのみせられて、あかずおぼゆ。

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更級日記『物語(源氏の五十余巻)』(3)解説・品詞分解

そして、大好きだった継母との別れを経験し、 その後、乳母を亡くし、あこがれだった人も、病気で亡くすという、身近な人々が自分の傍から居なくなる経験をします。 盛りの年齢。 」と思へど』と句点(「。 放置した人。 たまふ =補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。 また五十六年に及ぶ記事が残されている日記『明月記』がある。

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